『七人の侍』(しちにんのさむらい)は、1954年(昭和29年)4月26日に公開された日本映画である。東宝製作・配給。監督は黒澤明、主演は三船敏郎と志村喬。モノクロ、スタンダード・サイズ、207分。ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞受賞。
当時の通常作品の7倍ほどに匹敵する製作費をかけ、何千人ものスタッフ・キャストを動員、1年余りの撮影期間がかかったが、興行的には成功し、700万人の観客動員を記録した。日本の戦国時代(劇中の台詞によると1586年)を舞台とし、野武士の略奪により困窮した百姓に雇われる形で集った7人の侍が、身分差による軋轢を乗り越えながら協力して野武士の一団と戦う物語。
黒澤明が尊敬するジョン・フォードの西部劇から影響を受け、この作品自体も世界の映画人・映画作品に多大な影響を与えた。1960年にはアメリカ合衆国で『荒野の七人』として、2016年には『マグニフィセント・セブン』としてリメイクされている。
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Seven Samurai (1954) / 七人の侍のあらすじ
前編
戦国時代末期のとある山間の農村。村人たちは戦によりあぶれて盗賊と化した野武士(百姓たちは「野伏せり」と呼ぶ)たちに、は始終おびえていた。春、山で野武士達の話を盗み聞いた者がおり、その年も麦が実ると同時に、40騎の野武士達が村へ略奪に来ることが判明する。これまでの経験から代官は今回も頼りにならないことは明白であり、村人たちは絶望のどん底に叩き落とされていたが、若い百姓の利吉は、野武士と戦うことを主張する。村人たちは怖気づいて反対するが、長老儀作は戦うことを選択し、「食い詰めて腹を空かした侍」を雇うことを提案する。
力を貸してくれる侍を求めて宿場町に出た利吉(土屋嘉男)・茂助・万造・与平の4人は、木賃宿に滞在しながら白米を腹いっぱい食わせることを条件として侍らに声をかけるが、ことごとく断られ途方にくれる。そんな中、近隣の農家に盗賊が押し入り、子供を人質にとって立てこもる事件が発生する。周囲の者が手をこまねく中、通りかかった初老の侍が僧に扮して乗り込み、子供を救い出すと同時に盗賊を斬り捨てる。侍は勘兵衛(志村喬)という浪人で、騒ぎを見ていた得体の知れない浪人風の男が絡んだり、若侍の勝四郎(木村功)が弟子入り志願したりする中、利吉が野武士退治を頼みこむ。勘兵衛は飯を食わせるだけでは無理だと一蹴、村の概要を聞くに仮にやるとしても、侍が7人は必要だという。しかし、これを聞いていた同宿の人足が、これまで利吉ら百姓を馬鹿にしていたにもかかわらず、百姓の苦衷を分かっていながら行動しない勘兵衛を詰る。勘兵衛は翻意して、この困難かつ金や出世とは無縁の依頼を引き受けることを決意する。「この飯、おろそかには食わんぞ」
共に闘う侍を求める勘兵衛の下に、勘兵衛の人柄に惹かれたという五郎兵衛(稲葉義男)、勘兵衛のかつての相棒七郎次(加東大介)、気さくなふざけ屋の平八(千秋実)、剣術に秀でた久蔵(宮口精二)が集う。さらに利吉達の強い願いで、まだ子供だとして数に入っていなかった勝四郎も6人目として迎えられる。7人目をあきらめて村に翌日出立しようとしたところに、例の得体の知れない浪人風の男が泥酔して現れる。男は家系図を手に菊千代(三船敏郎)と名乗り侍であることを主張するが、勘兵衛らに出自を偽っていることを見破られてからかわれる。勘兵衛らは菊千代を相手にしないまま村に向かうが、菊千代は勝手について来る。
一行は村に到着するが、先に帰ってきていた万造が「侍が来たら何をされるかわからない」と、強制的に娘の志乃の髪を切って男装させてしまったのもあって、村人は怯えて姿を見せようとしない。が、危急を知らせる盤木の音が鳴り響くや、野武士襲来と勘違いした村人は一斉に家を飛び出し侍に助けを求める。これは菊千代の仕業であった。顔合わせを成立させたことで、菊千代は侍の7人目として認められる。勘兵衛たちは村の周囲を巡り、村の防御方法を考案し、百姓たちも戦いの為に組分けされ、侍達の指導により鍛え上げられる。一方、勝四郎は山の中で男装させられていた志乃と出会い、互いに惹かれてゆく。そんな折、菊千代が村人らから集めた刀や鎧を侍らの元に持ち込んでくる。それは村人が落ち武者狩りによって入手したものだった。負け戦での辛酸を舐めてきた侍たちはこれを見て気色ばむが、菊千代は「お前たち、百姓を仏様だと思っていたか!百姓ほど悪ズレした生き物はないんだ!でもそうさせたのはお前ら侍だ!」と激昂しする。菊千代は、侍にあこがれ村を飛び出した農民だった。彼の出自と農民の事情を察した侍達は怒りを収める。
村人は侍の指導の下で村の防衛線を固めるが、村はずれの数軒の家はどうしても防衛線の外になってしまう。守りきれない離れ家は引き払って欲しいとの申し出を聞いた茂助は、自分たちの家だけを守ろうと結束を乱す。それに対し勘兵衛は抜刀して追い立て、村人に改めて戦の心構えを説く。
後編
初夏、麦刈りが行われ、しばしの平和な時も束の間、ついに物見(偵察)の野武士が現れる。物見を捕らえ、本拠のありかを聞き出した侍達は、先手を打つため利吉の案内で野武士の本拠へと赴き、焼き討ちを図る。侍たちはあぶりだされた野武士を切り伏せ、囲われていた女たちを逃すが、その中の美しく着飾ったひとりは、野武士に談合の代償に奪われた利吉の女房だった。利吉の姿に気づいた彼女は火の中へ再び飛び込む。それを追おうとする利吉を取り押さえた平八は野武士の銃弾に倒れる。村に戻り、皆が平八の死を悼む中、菊千代は平八が作り上げた旗を村の中心に高く掲げる。それと同時に野武士達が村へ来襲、戦いの幕が切って落とされる。
築いた柵と堀によって野武士の侵入は防がれたものの、離れ家と長老の水車小屋には次々と火が放たれる。水車小屋から動こうとしない儀作を引き戻そうとした息子夫婦も野武士の手にかかる。唯一助かった赤子を抱き上げる菊千代は「こいつは俺だ」と号泣する。
夜半から朝へと時は流れる中、勘兵衛の地形を生かした作戦が功を奏し、侍と村人は野武士を分断し徐々にその数を減らしていく。しかし、種子島(火縄銃)をひとりで分捕ってきた久蔵を勝四郎が「本当の侍」と評したことから、菊千代は対抗意識から持ち場を離れ、単独で野武士を襲撃する。菊千代は種子島を持ち帰って来たものの、不在にしていた持ち場が野武士による襲撃を受け、さらに野武士の流鏑馬(騎射兵)が村に入り込んだため、与平を含む多くの村人が戦死し、侍のうち五郎兵衛も斃れる。
日が暮れ戦いは一時やむ。相次ぐ戦いで村人らも疲弊するが、数を減らされ追い詰められて焦っている野武士達も明日は死に物狂いで来るだろうことが予想された。その夜、勝四郎は志乃(津島恵子)に誘われ初めて体を重ねる。その場を見咎めた万造(藤原釜足)が激高し騒動となるが、妻を亡った利吉が野武士にくれてやったのとは訳が違うと万造に一喝して場を収める。
夜が明けると、豪雨の中、残る13騎の野武士が襲来する。あえてこれらはすべて村に入れ、決戦が始まる。野武士らは1騎また1騎と討ち取られていくが、野武士の頭目は逃れて村の女子供が隠れていた小屋に入り込む。大勢が決したころ、久蔵が小屋に潜んでいた頭目が放った銃弾によって斃れる。続いて菊千代も撃たれるが、菊千代は鬼気迫る迫力で追いつめた頭目を刺し殺し、自らもその場で果て、野武士はついに壊滅する。
野武士を撃退した村には日常が戻り、晴れ空の下で村人は笛や太鼓で囃しながら田植にいそしむ。活力に満ちて新たな生活を切り拓いていく村人たちとは対照的に、その様子を見つめる生き残った3人の侍の表情は浮かない。侍たちの横を田植に向かう村の娘たちが通り過ぎていく。その中に志乃がおり、勝四郎を見て躊躇うが、何も言わずに振り切って田に駆け込む。そのまま田植歌を口ずさみながら、勝四郎を忘れるように志乃は一心に苗を植えていく。
勘兵衛がつぶやく。
「今度もまた、負け戦だったな」
怪訝な顔をする七郎次に対して「勝ったのはあの百姓たちだ、わしたちではない」と述べて勘兵衛は丘を見上げる。その上には、墓標代わりに刀が突きたてられた4つの土饅頭があった。
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